無謀な試みと保育園の思い出
名古屋の旅の話の続きです。
西浦でお札を返して、宿泊先の名古屋に行く前に途中の大府市に寄りました。
名古屋旅行といいつつ、全然名古屋に行かないので、夫は騙されたと思ったかもしれません。でも大府は母のこの旅行の目的の場所だったのです。
私が3歳から4歳まで住んでいた街で、引っ越ししてからは一度も訪れたことがなかったので、昔を思い出しながら、住んでた家やその近所をみてみたかったそうです。
とりあえず、私はおなかがすいていたので、お昼御飯が食べたくて、西浦から電車に乗ってJRに乗り換える蒲郡駅で昼食をと思ったのですが、母が、ここより、大府の駅前のほうがいっぱい食べ物屋さんがあるで。というので、快速急行も停まるし、名古屋にも近いからそうかもしれんと思い、そのまま大府に向かいました。
でも大府の駅についても、駅前に何もありませんでした。普通喫茶店とか何かありそうなのに。西浦ほどでないのですが、普通に静かな駅前。
グーグルマップをプリントアウトしていたのですが、それではよくわからず、方向音痴二人と外国人という組み合わせなので、駅前の大きな地図で方角を確認してたら、親切な人が2人ほどきて私たちの行きたい場所への行き方を説明してくれました。ついでに、駅前で食事ができる場所はないかと聞いてみたのですが、何もありませんとのこと。
大府の駅前のほうが蒲郡の駅前よりいっぱい食べ物やさんがあるで、と断言していた母ですが、なんの根拠もなくそう言っただけのようです。蒲郡駅前にはいろいろお店屋さんあったので、そこで食べておけばよかったと後悔しました。
しょうがないので、家探しです。
昔住んでた家を探すといいつつ、私たちは住所もまったく覚えていなかったのです。昔過ぎて家の住所を書いたものすら残ってなく、3歳だった私が家の住所を覚えているはずもなく、母もまったく覚えていないとのこと。弟は赤ちゃんだったので、その街の記憶すらないと思われるし、父ももう亡くなってしまって、だれにも聞けない。
わかってるのは、保育園の名前だけ。とりあえず、保育園まで行けば、家にたどり着けるだろうという安易な発想で、大府に行ってしまいました。
駅前で道順を教えてくれた人も、中年夫婦とおばあさん、しかも一人は外国人が、なぜに、保育園に行きたかったのか不思議に思ったことでしょう。
とりあえず、保育園が見つかったので、そのあたりを歩いてみました。
大府に住んでいたのはたったの10か月ちょっとだったので、あまり思い出はありません。
あるのは、近所の男の子たちとよく遊んでて、丘を登って丘の上から向こうに見える団地を見に行ったことやその途中に有刺鉄線がはってあるところをくぐって一人の男の子が耳を怪我して痛そうだったこと。
そして、保育園がいやだったこと。母が送り迎えをしてくれていたのですが、教室に入ってすぐにまた靴箱に来て靴を履き替えて家に帰ろうとしていたそうです。
たぶん、母と離れて過ごすのがいやだったのと、眠たくもないのに、昼寝の時間があるのがすごく苦痛でした。でも、母は私がいじめられたのかと思い、隣の席の男の子に仲良くしてあげてねと頼んだものだから、その子も気を使っておやつの時間に自分の森永マミーを私にくれて、「これあげるから、家に帰るって言わないでね」と言ってくれて、こんな子供に気を使わせて悪いなと子供心に思ったものです。
ただ、唯一楽しみにしていたのはお誕生日会。毎月その月のお誕生日の子供たちが祝ってもらってプレゼントを先生からもらっていたので、わたしも自分の誕生日月にプレゼントをもらうのを楽しみにしていました。それだけが楽しみ。そしてそれでなんとか頑張って保育園に通っていました。
でも私の誕生日は11月。4月に入園して、まだまだ先のこと。そして、残念なことに夏に父が大阪に転勤になったので、誕生日会のプレゼントをもらうことなく転園です。
そんなくらいしか記憶がないので、母の家探しの役には立てず、母も一人で、こんな感じやったけど、ちょっと違うとかあれこれ言っては保育園のあたりをぐるぐる回っていました。
あいにく雨だったので、もうこの家に住んでたということにしようと勝手に似たような家を自分が住んでた家と決めてました。それか、この新しい道路と畑。ここに家があったのかもと、なんとか自分に言い聞かせて、昔住んでた家探しを終えました。
雨が降っていなかったら、もう少し遠くまで歩いて探してみることもできたのですが、雨がひどかったし、まったく何も覚えてないので、これ以上は無理です。
これからは、住んでいた家の住所はしっかりどこかに書き留めておいたほうがいいなと思いました。
家は見つかりませんでしたが、昔のことをいろいろ思い出して、懐かしかったです。弟が乗った乳母車(ベビーカーではないのです)に私も乗って母が重い乳母車を押して買い物に行っていたことなどを思い出しました。保育園はいやだったけど、あの頃はよかったなあ、宿題もないし、弟も小さくてかわいかったし、なんてことを思い出したら、ほのぼのとした気分になれました。
そして、今まで住んだ家や街、全部見に行きたい気分になってきました。観光名所を巡る旅でなく、こういう旅もたまにはいいものだなと思いました。
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西浦でお札を返して、宿泊先の名古屋に行く前に途中の大府市に寄りました。
名古屋旅行といいつつ、全然名古屋に行かないので、夫は騙されたと思ったかもしれません。でも大府は母のこの旅行の目的の場所だったのです。
私が3歳から4歳まで住んでいた街で、引っ越ししてからは一度も訪れたことがなかったので、昔を思い出しながら、住んでた家やその近所をみてみたかったそうです。
とりあえず、私はおなかがすいていたので、お昼御飯が食べたくて、西浦から電車に乗ってJRに乗り換える蒲郡駅で昼食をと思ったのですが、母が、ここより、大府の駅前のほうがいっぱい食べ物屋さんがあるで。というので、快速急行も停まるし、名古屋にも近いからそうかもしれんと思い、そのまま大府に向かいました。
でも大府の駅についても、駅前に何もありませんでした。普通喫茶店とか何かありそうなのに。西浦ほどでないのですが、普通に静かな駅前。
グーグルマップをプリントアウトしていたのですが、それではよくわからず、方向音痴二人と外国人という組み合わせなので、駅前の大きな地図で方角を確認してたら、親切な人が2人ほどきて私たちの行きたい場所への行き方を説明してくれました。ついでに、駅前で食事ができる場所はないかと聞いてみたのですが、何もありませんとのこと。
大府の駅前のほうが蒲郡の駅前よりいっぱい食べ物やさんがあるで、と断言していた母ですが、なんの根拠もなくそう言っただけのようです。蒲郡駅前にはいろいろお店屋さんあったので、そこで食べておけばよかったと後悔しました。
しょうがないので、家探しです。
昔住んでた家を探すといいつつ、私たちは住所もまったく覚えていなかったのです。昔過ぎて家の住所を書いたものすら残ってなく、3歳だった私が家の住所を覚えているはずもなく、母もまったく覚えていないとのこと。弟は赤ちゃんだったので、その街の記憶すらないと思われるし、父ももう亡くなってしまって、だれにも聞けない。
わかってるのは、保育園の名前だけ。とりあえず、保育園まで行けば、家にたどり着けるだろうという安易な発想で、大府に行ってしまいました。
駅前で道順を教えてくれた人も、中年夫婦とおばあさん、しかも一人は外国人が、なぜに、保育園に行きたかったのか不思議に思ったことでしょう。
とりあえず、保育園が見つかったので、そのあたりを歩いてみました。
大府に住んでいたのはたったの10か月ちょっとだったので、あまり思い出はありません。
あるのは、近所の男の子たちとよく遊んでて、丘を登って丘の上から向こうに見える団地を見に行ったことやその途中に有刺鉄線がはってあるところをくぐって一人の男の子が耳を怪我して痛そうだったこと。
そして、保育園がいやだったこと。母が送り迎えをしてくれていたのですが、教室に入ってすぐにまた靴箱に来て靴を履き替えて家に帰ろうとしていたそうです。
たぶん、母と離れて過ごすのがいやだったのと、眠たくもないのに、昼寝の時間があるのがすごく苦痛でした。でも、母は私がいじめられたのかと思い、隣の席の男の子に仲良くしてあげてねと頼んだものだから、その子も気を使っておやつの時間に自分の森永マミーを私にくれて、「これあげるから、家に帰るって言わないでね」と言ってくれて、こんな子供に気を使わせて悪いなと子供心に思ったものです。
ただ、唯一楽しみにしていたのはお誕生日会。毎月その月のお誕生日の子供たちが祝ってもらってプレゼントを先生からもらっていたので、わたしも自分の誕生日月にプレゼントをもらうのを楽しみにしていました。それだけが楽しみ。そしてそれでなんとか頑張って保育園に通っていました。
でも私の誕生日は11月。4月に入園して、まだまだ先のこと。そして、残念なことに夏に父が大阪に転勤になったので、誕生日会のプレゼントをもらうことなく転園です。
そんなくらいしか記憶がないので、母の家探しの役には立てず、母も一人で、こんな感じやったけど、ちょっと違うとかあれこれ言っては保育園のあたりをぐるぐる回っていました。
あいにく雨だったので、もうこの家に住んでたということにしようと勝手に似たような家を自分が住んでた家と決めてました。それか、この新しい道路と畑。ここに家があったのかもと、なんとか自分に言い聞かせて、昔住んでた家探しを終えました。
雨が降っていなかったら、もう少し遠くまで歩いて探してみることもできたのですが、雨がひどかったし、まったく何も覚えてないので、これ以上は無理です。
これからは、住んでいた家の住所はしっかりどこかに書き留めておいたほうがいいなと思いました。
家は見つかりませんでしたが、昔のことをいろいろ思い出して、懐かしかったです。弟が乗った乳母車(ベビーカーではないのです)に私も乗って母が重い乳母車を押して買い物に行っていたことなどを思い出しました。保育園はいやだったけど、あの頃はよかったなあ、宿題もないし、弟も小さくてかわいかったし、なんてことを思い出したら、ほのぼのとした気分になれました。
そして、今まで住んだ家や街、全部見に行きたい気分になってきました。観光名所を巡る旅でなく、こういう旅もたまにはいいものだなと思いました。
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by rudern | 2015-10-30 07:25 | 日本 | Comments(0)